大阪大学台湾研究講座の今年度実施した活動について、情報を更新します。

活動報告

2024 11/12 「ドイツ語と台湾研究」講演会を開催しました

 

 2024年11月12日、国立政治大学の陳致宏助理教授及び姚紹基副教授を講師に迎え、「德語與臺灣研究(ドイツ語と台湾研究)」講演会を行いました。講演の通訳は、本学の中井健太氏が務めました。

 

 

 陳先生の講演「德國史家Ludwig Riess眼中的日本與臺灣(ドイツの歴史家Ludwig Riessの眼に映る日本と台湾)」では、ドイツの歴史家・Ludwig Riessに注目し、当時の手紙や写真等の史料を用いて、彼の眼から見た日本と台湾を紹介しました。
 Riessは1887年に来日し、東京大学にて世界史や史学の方法論の授業を担当した人物で、史学会の設立や同会の成果物刊行を勧め、日本における専門家による歴史学の成立に寄与しました。また、彼が著した『台湾島史』は史学の専門家によって台湾の歴史が記録された重要な書籍として知られています。講演ではこれに関する分析も行いました。

 

 続いて、後半を担当した姚先生は「德籍中國海關職員Georg Kleinwächter在南臺灣的故事(ドイツ籍中国税関職員Georg Kleinwächter が南台湾で経験したこと)」という題で講演しました。姚先生は、ベルリンの民族博物館の台湾原住民関連の収蔵物について説明し、約450件の台湾原住民の文物及び約70枚の写真があること、最も古いものは1871年に収蔵されていたこと、当時中国の税関職員を務めていたGeorg Kleinwächterが多く収集をしていたことなどを紹介しました。その上で、Kleinwächterの台湾南部調査の動向や関連史料についての分析を行いました。さらに、収蔵品について、展示場所が不足していることや博物館の方針等の理由で未だ日の目を見ておらず、将来的にこれらの歴史的文物が活用されることへの希望を語りました。また、文物の来歴や返還等の今後の課題についても言及しました。

 

 講演後、ドイツ人がどのような経緯で台湾に入ったのかということについての説明や討論があり、また世界史の中での台湾の状況について具体的に語られる一幕もありました。両先生の講演を通して、学生たちは毎週のゼミでの学びとは異なる側面から台湾を理解し、台湾研究の多元性について知ることができたと思います。

2024年12月11日

2024 10/11 一橋大学吉田真悟ゼミと共催で冨田哲氏講演会を開催しました

 2024年10月11日、一橋大学国立東キャンパス国際研究館大教室にて、大阪大学台湾研究講座主催(一橋大学吉田真悟ゼミ共催)、冨田哲先生講演「「中文」「国語」「華語」「台湾華語」―台湾でMandarinをどう称するか」を開催しました。

 

 冨田先生は台湾の社会言語学および台湾史の専門家であり、今回は台湾における「中文」「国語」「華語」「台湾華語」という呼称がどのように使われ、その社会的意味がどのように変化してきたかをテーマとしてご講演いただきました。

 まず、冨田先生は、台湾で使用される「中文」「国語」「華語」の各名称が、いずれもMandarinを指しつつも異なる意味合いを持つことを指摘しました。その上で「台湾華語」の形成過程とその意味について説明しました。
 さらに、Mandarinは今後「われわれ(台湾人)の言語」として受け入れられつつ、それを「国語」、「中文」から「(台湾)華語」へ読み替える動きが顕在化するのではないかと語りました。そうして華語世界における台湾の独自性を強調する動きが増えると予想する一方で、強圧的な言語政策の下で形成された「台湾華語」に固有性や在地性を認めることの是非についても言及しました。

2024年11月27日

2024 10/29-30 国立台湾師範大学物理学系学生との交流を行いました

 2024年10月29日-30日、国立台湾師範大学理学院物理学系の劉祥麟教授が学生を連れて大阪大学を訪問しました。10月29日に本学箕面キャンパス、30日に本学豊中キャンパスにて本学中国語専攻の学生と交流会を行いました。
10月29日はまず3限の中国語専攻2回生の授業で交流を行いました。本学の学生は「私の一週間」及び「私の人生設計」という題で、師範大学の学生は「台湾社会から見た日本社会」、「台湾人から見た日本社会の長所・短所」という題で発表を行いました。台湾師範大学の学生からは日本の大学生の多くがアルバイトをしていること、そして将来的にマイホームの購入や子供を持つことを考えていることに驚きの声が上がりました。本学の女子学生の一人は、日本では未だに女性にとって結婚と子育てが最大の幸せだと言われることが多く、それに疑問をいただいていると述べました。その後グループに分かれて意見交換を行いました。 続く4限の上級生対象の授業では本学の学生より「大阪の観光名所」についての発表がありました。道頓堀など、有名な観光名所がスクリーンに映し出されると台湾師範大学の学生から歓声が上がりました。発表が終わった後、数人ずつのグループに分かれてキャンパスツアーを行いました。学生たちは和やかな雰囲気で交流を楽しみました。

 開会の挨拶

 師範大学学生の発表

 意見交換の様子

 4限の集合写真

 10月30日は本学豊中キャンパスにて、林初梅教授が担当する中国語専攻1年生の授業に参加し、交流を行いました。まず、劉教授と台湾師範大学の学生たちが自己紹介を行い、その後本学学生2名と台湾師範大学学生1名でグループを作り、豊中キャンパス構内を1時間程度散策しながら交流を行いました。中国語専攻の学生たちは、事前に散策の計画を立てたり、会話の内容を考えたりと、入念な準備の上、当日を迎えました。当日は天候に恵まれ、良い雰囲気の中で、お互いの大学生活や趣味についての会話を楽しみながら、豊中キャンパスの各施設を散策しました。

 

 師範大学学生による自己紹介



 豊中キャンパス散策

 30日の集合写真

2024年10月30日

2024 10/22 国立台湾大学史甄陶先生の講演会を開催しました

 2024年10月22日に本講座主催で、国立台湾大学中国文学系副教授史甄陶先生講演会 「〈讀中文系的人〉的當代省思 ―「讀中文系的人」を今、振り返る」を開催しました。

 

 本講演では、史先生が林文月氏の1977年の作品である〈讀中文系的人〉を取り上げ、台湾の最高学府である国立台湾大学の中国文学科のこれまでの発展と現況について述べ、時代背景を踏まえ、中文系の意義について私たちに問いかけました。

 

 史先生は1970年代~80年代の台湾大学中文系の教育課程を示した上で同課程の近年の変化について述べました。
特に、2010年以降においてLiteracy-言語表現と分析能力、Literature-古典解釈能力、Literate-人文素養を重点として、学生の能力を高めることを教育目標として掲げ、「国学の伝承」がもはや第一の重点ではないことを述べました。

 また、応用型のカリキュラム増設について、また、今年度新設した「生成式AI的人文導論」と「AI與數位人文研究專題」といった授業について紹介しました。

 最後に史先生は、台湾大学中文系が「国学」の枠組みを超え、その重点において理論に加え応用分野、古典文学に加え現代文学、国家・民族への視点を超え個人への視点を持つなど、時代を経て変化し、視野を拡大してきたと分析しました。さらに、中国文学について、作者としての「人」を出発点とし、読者としての「人」の存在について問う学問であること、さらに言えば、人が生きることについてその意義と価値を見出すことが学問として重要であると述べました。また、〈讀中文系的人〉の現代におけるタスクとして最も重要なことは自我の理解にあるとし、ドイツの学者Bultmannの文章を引用しながら、テキスト・文章との関わりを通して理解し、絶えず自己を修正することにより、新たな自我の理解に繋げることにあると述べました。

 

 講演後はゼミ生から終了時間まで質問も出され、学生にとって学びの多い講演会となりました。

 

2024年10月23日

2024 10/6 国際シンポジウム「日台のはざまの引揚者たち」を開催しました

 2024年10月6日(日)に台湾研究講座主催の国際シンポジウム「日台のはざまの引揚者たち」を大阪大学中之島センター7階セミナー室7C+7Dにて開催しました。本シンポジウムは、本講座の大阪大学林初梅教授が主催する台湾引揚研究会で2022年9月から2年にわたり実施してきた個別の研究会で得られた学術的成果を報告し、広く日台の研究者や台湾引揚関係者とともに議論することを主旨として開催したものです。当日は報告担当者、主催側関係者のほか、日本、台湾の研究者や実際に引揚の経験をお持ちの湾生の方をふくめ、約70名が参加しました。

 

 林初梅教授による開会の挨拶

 第1セッションは、「台湾と沖縄からみた引揚者」をテーマに林初梅氏、野入直美氏、松田良孝氏が台湾からの引き揚げに関して、沖縄の存在に注目した(林氏の総論では台湾からの引揚者の中で沖縄への引揚者の存在も含めた)報告を行いました。林氏は「日本引揚の前夜―1945年~1947年台湾引揚者の処遇」と題して、日台双方の資料を用いて引揚前から3期に渡る引揚げの展開や⽇僑と琉僑という区分について取り上げ、また個別の事例についても言及しました。野入氏は「女性引揚者を可視化する―沖縄の台湾引揚者を中心に」という題で、台湾から沖縄への女性引揚者について、見えにくい階層性やモノグラフにおける偏りの問題を指摘し、試論として満洲との比較から階層的分析を行いました。松田氏は「八重山と蘇澳/南方澳―石垣市『市民の戦時戦後体験記録』という題で、表題資料や他の資料から、戦前戦後を通じて八重山から台湾北部にかけて経済的な準一体性が維持された「境域」が存在したことを提起し、引揚に関しては沖縄本島の様相と異なり引揚の出発港としての役割が蘇澳に強く期待されていた面があったことを述べました。

  第1セッションにて

 第2セッションは「変動期のなかの引揚者」として所澤潤氏、黄英哲氏、顔杏如氏による報告が行われ、同セッションは、各氏の扱う資料に特徴がみられました。所澤氏は「引揚者を見送った人たち」という題で、引揚は見送った台湾人にとっても大きな出来事であったという視点から、氏がこれまで収集したオーラルヒストリーをもとに報告を行いました。多様な語りから、複雑さがありながら台湾人にとって日本人の引揚げが様々な角度から重要性をもっていたことを述べました。黄英哲氏は「台湾における日本人引揚者雑誌『新声』について」という題で、引揚者向け雑誌『新声』の創刊背景を述べたうえで、魯迅の抄訳版「藤野先生」が掲載された背景、削除された部分、雑誌編集者・読者の立場の相違の観点から考察を行いました。顔氏は「『全国引揚者新聞』に見る台湾引揚者の戦後初期」と題し、表題資料について、国民の差別感情を取り除くことや、戦後の生活の立て直し、戦前の「開拓精神」を強調する言説とともに、「南方感覚」として台湾への「ノスタルジア」の存在を見出し、戦前と戦後の連続性と断絶性について総合的に考察しました。

 第2セッションにて

 第3セッション「湾生がかたる引揚体験」は、3名の湾生による台湾での生活や引揚についての語りに重点が置かれ、セッション司会の所澤潤氏のファシリテートのもと、登壇の三氏が植民地台湾での体験、引揚げ当時の詳細についてなどを語りました。フロアの参加者にも湾生の方がおられ、その方たちの体験もお聞きすることができ、貴重な語りから台湾での体験や引揚げについて様々な側面を理解することができました。

 第4セッション「引揚者の戦後日本」は黄紹恒氏、菅野敦志氏、石井清輝氏が担当し、引揚者の植民地経験・引揚及びその後について、各氏の視点から分析を行いました。黄紹恒氏は「台北帝大教授・楠井隆三の引揚と戦後」という題で、表題の台北帝大教授の楠井について戦後の台北帝大接収後から関西学院へ移る過程について、戦前以来の人的つながりなどに注目して分析を行いました。菅野氏は「湾生・女性・スポーツ―1954年マニラ・アジア大会と溝口百合子を中心に―」と題し、表題の人物の動向から、戦前戦後の湾生としての体験や、戦時中の行為により対日感情が激しかったフィリピンでのアジア大会での一連の展開が、アジアの中の日本にとって、思い起こされるべき戦前と戦後をつなぐ視座を持っていることを述べました。石井氏は「植民地と引揚(後)を想起する―花蓮港中学校同窓生を事例として」と題して、日本人同窓生の「記憶」と語り、そして、それがどのような意味を持ってきたかという問題について、ノスタルジア、引揚者としての苦労などといった物語を緩やかに共有する一方、「被支配者」への視点や彼らへの配慮も示し、それらが台湾人同窓生の経験と記憶が有する両義性、多面性への共感と尊重、理解によって生み出されていたと分析しました。

 上記の各セッションにおいて、質疑・コメントの時間が設けられ、引揚を専門とする研究者や日台の台湾史の研究者による質問やコメント、報告者によって提起された概念に対する議論、湾生の方による語りの共有など、多様な背景をもつフロア参加者によるリプライによって双方向性を持った充実したシンポジウムとなりました。本シンポジウムでのリプライも踏まえ、書籍などの成果報告に繋げられればと考えています。充実した内容のシンポジウムとなりましたことにつき、ご参加いただいた皆様や関係者の皆さまに心よりお礼申し上げます。

 質疑応答の場面(第4セッション)


 

2024年10月16日
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